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インド

寒さが身にしみ絵筆をとる時間が減っているのは私だけではないと思います。

少しでも暖かいものが欲しいので南国インドの画像を知人に借りてきました。

絵心そそられますね。(管理人)

デリーとジャイプールの間にある’古い階段井戸’

ジャイプールのホテルから撮影の’朝の町’

ジャイプールのアンベール城壁から町を望む

ジャイプールのアンベール城壁から

 シャンタルマンタル(昔の天文台)

 

アグラ城

 

出ました ’タージマハール’

 

タージマハールの裏を流れる川

楽画会スケッチ会

2017.11.9に楽画会のスケッチ会が石神井公園で行われました。

森岡義久 神奈川副支部長の通信に、その模様が日記風に書かれておりました。拝読し爽やかな気持ちになり、また役立つインフォメーションは有難く、ご無理を言って以下画像(拡大できます)とともに拝借し掲載させていただきます。

会の幹事 中村宣義様 計画などお世話様でした。(管理人)

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11月9日に、楽画会のスケッチ会で石神井公園へ行ってきた。

その昔、関越道で児玉町の北武蔵カントリーへゴルフに行く折に、何回か荻窪や杉並の仲間をピックアップして谷原から乗った。石神井農協の脇を通って丸善石油のガソリンスタンドを右折し…など谷原までの道筋はまだ覚えている。

また、日銀のグランドへはサッカーのインターバンク戦でこれまた何回か通った。芝のグランドだったが、陸上の400mトラックが食い込んでいた。

午前10時15分、石神井公園駅集合。参加者10名。

   「石神井公園駅で」

西武池袋線の高架・立体化で、駅舎はまことに立派、往時の姿は全くない。

「天気晴朗なれど風強し」の強風のなか、石神井池のへりをまわって三宝寺池でスケッチ、1時半にイタリアン・レストラン『ラ・ガッツア』で昼食。

さらに3時過ぎまで描いて、4時半に池袋駅の居酒屋で打ち上げ合評会となった。

もっとも、ボクは池のまわりで3枚ほど描いた後、もっぱら周辺の散策に出かけた。

「三宝寺池で(厳島神社と浮見堂)」

地図を見ればこの都立石神井公園には禅定院や池淵史跡公園など見るべき所が多いが、時間の都合で三宝寺池脇の厳島神社と浮見堂、その後、石神井城址、氷川神社、さらに道場寺、三宝寺をまわった。豊島氏居城だった石神井城は土塁と空堀を残すのみだが、道場寺や三宝寺はなかなかの名刹と見受けた。

昼食後も、むかしの日銀グランドの面影を求めて三宝寺池まで戻ってみた。

当の日銀グランドは2014年に開園した練馬区立「石神井松の風文化公園」となり、広々とした緑の芝生にはたくさんのカラスが降り立ち、幼な子らが追いまわしていた。

桂林

日本画家の先生から勧められた中国の桂林へ行ってみました。自然の継続的な作用からの、得も言われぬオーラ。。。浴びて 絵になるようなイマージュ 湧いてきたような?! (なお 桂林市内はかなり都会です。)

 

桂林・漓江下り/カルスト台地が雨水に浸食されてできた山々の間を3時間ほど船で下る

岸辺にはのどかに草をはむ牛も時々見られました

石をかごのように透かし彫りした芸術品

古い街は今後も残れるか心配

桂林市内からの遠望

年末に管理人含めアーティストのカタログを置いてくれる市内のおしゃれなカフェ、2階は画廊

 

小史・・・

以前掲載の小史は、2015年分まで故 小林元事務局長が手打ちで丁寧に入れてくれました。列をそろえるのに大変苦労されましたが、このホームページソフトのワードプレスではどうしても揃わないこともあり、HP顧問の中嶋さんが一文字ずつ画面を見ながら調整してくれました。

先日小史のページがスマホでは左右の欄が重なって見苦しいとの話があり、今回 文字が動かないようにしました。手順としては、以前の一覧をワードにいくつかに分けてコピペし新規にpdf形式にして保存。→フォトショップで取り込み文字列などを整えるためにjpeg形式に変換。→HPアップ時に小史を区分けの小見出しをつけました。

画像は横800ピクセルなので、拡大できます。画面をクリックするとまずは長い一列が小さく出ます→それをもう一度クリックすると大きくなります。元の字の色目が茶系なので今一つはっきりしないと思う方もいるかもしれませんが、管理人も慣れない中 勉強会に何回も参加し時間を費やして頑張りましたので、このような出来ですが、どうかご容赦願えますようによろしくお願いします。

尚この調整をしながら 小林さんがどんなに新洋画のためにご尽力されたか改めてわかり 頭が下がる思いがいたしました。

では 支部展の作品の仕上げこれから頑張ります。

from FARM長谷川

神奈川支部長 長谷川 明夫さんのFace Bookより以下お借りしてきました。見事に育っている野菜のパワー・・・皆様の制作エネルギーとなりますように!!(管理人)

ポテトハウスの様相も呈してきましたよ。
他にもスイカやらトマトやらトウモロコシやら楽しみがいっぱい! from FARM長谷川

※FB画像が期限切れ?のためかこちらから見られなくなりましたので
ご了承ください。

なぜ「エルサレムの街角から」の絵を描いたのか

千葉支部 佐藤 信さんより ご寄稿頂きました。

今から思えばちょうど1年前の6月初旬、私はイスラエルへ旅をした。社会人初年兵の頃に 日本経済社にいた(現千葉支部長の田川潔さんの部下として)すぐ上の先輩が急に会社を辞める ことになって急遽私が担当したのが日本電子メモリー(後のネミック・ラムダ)という会社だった。当時の社長が長年の夢を叶えたいとイスラエルの地に平和を願ったプラネタリウムを建設、その竣工式に誘われたためだった。「縁あっていまエルサレムにいます」といFacebookに書き 込んだら当時の仲間からも「何故だ?」とか「危険じゃないのか?」とかいろいろと言われたが、誘ってくれた社長から何回か電話をもらって、勇気を出して行って来た。

当時からそうだったが、イスラエルという国はハイテク産業がかなり進んだ国だ、私が担当 した頃にはスイッチングレギュレーターといって交流を直流化する電源を標準化し汎用性を 高めたのが時代のニーズにあって、東証二部に上場したと思ったらすぐ一部上場を果たした。実際にはテレビ信州に移った後のことだったけれど帝国ホテルの1,000人規模の記念パーティー で日経社当時、営業マンとして提案した社名ロゴが会場の真ん中にドーンと掲げられていた。あの時の感動は今でも忘れられない。

そんな会社の社長さんとその後も長くお付き合いして来た。テレビ信州の関西支社長の時だったが、長野の他の局に出稿があった大分県の焼酎メーカーのスポットを獲得したいといろいろと 検討していた時に大分の元知事の平松守彦さんのところにでも行けば可能性があるかもしれな いけどと聞いていて、さてどうしたものかと思っていた時に、たまたまその社長のマンションを 訪ねたら平松さんの本が置いてあるのです。聞いてみたらよく知っているとのこと、2週間後に はご一緒に、平松さんの一村一品運動の財団本部に伺うなど何かと日本経済社を離れてからもお  世話になって来た。先日もイスラエル大使主催の経済交流イベントがあって、「今はTDKラムダ という名前になっているけれど早い頃からイスラエルの会社と連携し今では立派な会社になっている。」と現社長が話をしていた。イスラエルは確かに厳しい状況下で国を勝ち取って来た国である。だが実際に国に入ってしまえば実に素晴らしい国であった。人々は和やかに日々の生活を楽しんでいる。食事も果物や乳製品などが豊富で肉料理の味付だけは最後まで慣れなかったのだけれど約1週間の旅を楽しんだ。

今回の旅の一番の目的は地中海に面した都市ネタニア市に寄贈したプラネタリウムその名も都市の名前にちなんで「プラネタニア」と名付けられた立派な施設のオープニング式典に参加することだった。そして、もう一つ、先の戦争でナチスドイツの手から逃れたユダヤ人をリトアニアの領事館でビザを発給し6000人以上のユダヤ人を救った杉原千畝さんを記念した道路がプラネタリユムに沿って完成して、スギハラチウネロードと命名、その式典にも参加した。

歴史あるエルサレムの地を訪れたのはそんな公式イベントを控えた日程だった。就任以来何かとお騒がせなアメリカのトランプ大統領も先日エルサレムを訪れ嘆きの壁に立ったが、この春の新洋画会展に私が出品させて貰った絵もまさにそのエルサレムの地を訪問した時のものだ。

ゴルゴダの丘から十字架を背負ったキリストが歩いたところ、その後も歴史の荒波に翻弄されたところである。聖墳墓教会という名前のキリストの墓のある教会から、ユダヤ教区の嘆きの壁に行く途中の古い街角を描いた。まるでそこに古の人々が歩いているような街の風情の中にちょっと賑わいを見せる市場があったり、杖をつきながら人生を物語る老人に出会ったり、体格のいい若者が談笑しながら歩いていたりと魅力的で不思議な街だった。そんな古代と現代が交錯する街並みに私は妙に親しみを覚えたのも正直なところである。

今回の展覧会初日に「この曲った鍵のようなものがちょっと変だ。」とどなたかに仰っていただいたが、実は描いた本人は「あの不思議な形のトタン板を支える鍵のようなものが描きたかったのだ。」そんな弁明はどうも届かなかったようであるが、まあそんなことはどうでもいい話だ、行かなければ分からない事だし、行こうといって誘ってくれたその社長と人生の長い旅の終盤で ご一緒させていただいたことにこころから感謝している。そして同じ旅に参加した旅仲間とも、その後もいいお付き合いをさせて貰っている。

今回、思い切って行って来たことでどんなに多くのことを学ぶことが出来たか計り知れない。

 ※↓↓実際に自分で撮影して来た写真です。(クリックで拡大できます。)

第39回展 のご感想

第39回展に、例年同様連日たくさんのお客様に

ご観覧いただき感謝申し上げます。

本展示に感動された方々より届いた感想の一部をご紹介します。

※※ 常田メロンさんのエッセイのページ

(↑ 上記をクリックしジャンプしてご覧ください。)

※※ 会場で頂いた ご感想川柳 

新 洋 画

見 せ て 宇 宙 へ

誘 (いざな)われ 

      夢子

        

 

『この世界の片隅に』

森岡 義久 神奈川副支部長から、たより を届けて頂きました。HP掲載への許可をもらいましたのでアーティスティックな話題を2回にわたり皆様にお届けします。皆様からのお便りも、お待ちしています。
(管理人)

『この世界の片隅に』
飲み会で上京したついでに、アニメ映画『この世界の片隅に』を見た。
昨年の11月から新聞に7回ほど紹介記事があり、どれも絶賛、「必見の一作」とあった。もうブームも過ぎているだろうと気楽に出かけたが、この日の新宿ピカデリーはまだ大入りで、1時間ほど前に行ったにもかかわらず前列の2列が残っていただけだった。
この席から目の前の大画面を見上げるのはつらい。CMや予告は目をつぶっていたが、本編が始まるや最初の水彩画調の美しい画面に目を奪われ、あとは首のことは忘れて食入るように見た。
話は、広島市生まれで昭和18年に呉市へ嫁いだ浦野すずの日常を描いたもの。
絵を描くことが大好きで少々おっちょこちょいのすずが、嫁ぎ先で海軍事務官の夫・北條周作とその父母、小さな女の子晴美を連れて実家に戻ってきている周作の姉の径子などと暮らしていく。が、戦争の激化とともに配給品が減るなど日増しに苦しくなる暮しの中で、着物を裁ってもんぺにし、野草を摘んでお菜にするなど工夫しながら懸命に生きていく。離婚して何かと屈折した思いがあるのか、径子はすずにつらく当たるが、夫やその両親など登場人物がみないい人であり、とりわけ幼い晴美が実に可愛らしい。
昭和19年に入ってから軍港の呉は連日米軍の空襲に見舞われ、晴美はその犠牲となりすずも右手を失う。さらに8月6日の原爆投下、巨大なきのこ雲を呉の地から望み、そして終戦。兄は南方で戦死、実の親を原爆で失い妹も原爆症に罹るなど、平凡な市民生活が戦争に蝕まれていくが、声高に反戦を叫ばないだけに却って訴えるものは重い。 もっとも、政治など大きな動きに無関心で流されて行ったといえば、今も変わらないが。
原作はこうの史代、監督は片淵須直。主人公・北條すずの声はのん、この人は『あまちゃん』の能年玲奈と知った。広島弁が心地よく響く。
監督は徹底的な時代考証の上に細部のリアリティーに拘ったというが、広島や呉の街の描写が丁寧で、スケッチブックを手放さないすずの絵が随所に出てくること、猫やトンボ、蝶々に鷺などがさりげなく画面に登場するのも和ませてくれる。それだけに、戦闘場面の高射砲や機銃掃射の不気味な音は迫力があり、日常との対比を印象付けている。
晴美のあどけない仕草に笑みを誘われ、彼女の死と母径子の歎き、すずの自責の姿、さらに焼け跡の広島で戦災孤児の女の子を連れて帰るすずと周作の姿など、何度も涙がこみ上げてきた。確かに必見の一作だと思う。
呉にはその昔一度立ち寄ったことがある。P社かA社の出張だったか、ビッグバードでサッカーを見た時だったか、広島へ行ったついでに江田島に渡り海軍兵学校の跡を見て呉に寄った。帽子屋で潜水艦「はやしお」の軍帽を買って帰ったが、いつのことか忘れた。          29.01.19